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どうしても説明しておかなければいけない重要事項である。 ここには、「(文の)型」という考え方と、「品詞」理論との裂け目が横だわっていて、ここでも、日本人は複雑骨折を起こしているからである。
そのさわりだけを、ここで述べると、「彼女は美しく見える」ということを、英文では、looksseemsbeautiful (シー・ルックス(シームズ)と言う。 このlook(100k atとはまったくちがう!)やseemが重要だ。
これが、日本文の「見える」に相当するのだが、一体誰が、「彼女は美人だ」と「見ている」のだろうか。 「あなた」か、「私」か、「彼女」か。
ここを考えることが大切である。 ちなみに、l take breakfast は、イギリス人は使うが。

アメリカ人は使わない。 haveとtakeはよく似ている根本動詞だから、たいていの場合、置き換え可能(replaceable,リプレイサブル)、あるいは、変換可能(compatible, コンパダブル)である。
しかし、この例文でtakeを使うのを、アメリカ人は嫌がる。 その理由を尋ねると、takeの第一義は、「盗む」「取る」で、I took itは「私は、それを盗んだ。
自分のものにした」の意味が非常に強いので、ここでは、嫌だ。 ただ、意味は分かるし、イギリス人がそのように使うのは知っている、と言う。
イギリス人に同じ質問をすると、「フン、アメリカ人なんかに英語Englishが分かるのか。 彼らが英語を知っているのかね。
フン、Dothey know English huh!」という返事が返ってくる。 イギリス英語とアメリカ英語の差違および、お互いにどんなに違うか、ということについて言語学者たちが書いた多くの本が、英米両国で歴史的に数多く出版されており、お互いを攻撃し合ったり、軽蔑し合ったり、コトバで殴り合いをしたりしている。
おもしろいのだが、なにせ、英語と米語がどう違うか、と言われても、それをじっくりと聞き比べるほどの環境や体験や余裕のない私たち日本人にとって、それは簡単なことではないのである。 ただ、ここにも、「日本人の英語下手」を招来するに至った原因のひとつが横だわっている。

戦前から長らくイギリス英語を教えて来たと思いこんできたはずの文部省語学行政が、敗戦後のいつ頃からか、なし崩しに「米語併用」のような具合になってしまって、その後さらにゴッチャになってしまったのだ。 同時通訳の有能なお姉さんたちでさえ、英語と米語をチャンポンにしてしゃべっている人が多くて、英米人から不思議がられているのだとだけ、言っておこう。
私は、中学校の時以来、英語の教師たちに根掘り葉掘り質問すると、彼らは、必ず「そうなってるからそうなってるんだ」と答える。 せめて、l don't know 「分かりません」「これ以上は、英米人に直接、聞きなさい。
私の知っているのは、ここまでです。 それ以上のことは、分かる人に聞きなさい」と答えてほしかった。
日本人の教師・学者という人種は、l don't knowというコトバの真の恐ろしさを知らない。 「アイ・ドント・ノウ」と答えることは、科学=学問の精神に合致した、すばらしい態度だからだ。
「ここまでは、私は分かっている。 だから、学生である君に説明してあげよう。
しかし、ここから先は、私には分からないんだ」「だから、君自身が、この疑問を大切にして、分かった振りをしないで、ずっと疑問として、分かるまで、考え続けなさい。 あるいは、もっと分かる人に、聞きなさい。
私が教えてあげられるのは、ここまでなのです」このように答えるのが、本物の教育者だ。 優れた英米人(あるいは、近代ヨーロッパ知識人)は、このl don't know about it というコトバを実によく使う。
自分が「知っていること」と「知らないこと」を、常に、キチンと分けながら生活しているからだ。 これが、学問=科学ということの本質だからだ。
たとえば、アメリカのMIT (マサチューセッツ工科大学)のノーベル賞クラスの老大家の大学者たちでも、20歳の新入生と教室の中で、授業中に対等でやり合う。 Why?と尋ねられて、Becauseと答えたら、必ず自分なりの解答を出さなければいけない。
ここは、真剣勝負であって、日本のように、「偉い先生が、教壇の上から、ひたすら、学生に向かって、講義し続ける」ということはない。 とりわけ、英語圏の諸国の大学では、対話式の問答形式が、教室の授業の中心である。

だから、教師は、教室で、学生にどんどん次々に名指しして質問を浴びせる。 優れた答えを出した学生は、一気にポイントが上がる。
教師は、成績帳に、必ずチェックを入れる。 しどろもどろだったり、アホな答えしか言えない学生は、当然、点数(point, grade,score)が下がる。
これが、欧米の大学(高校でも)の教室での教育の基本なのである。 このほかに、欧米では、writing 「論文の書き方」という授業があって、ここで、教師から、自分の「作文」「レポート」に一人一人徹底的に、赤ペンを入れられて、厳しい添削をして返却される。
欧米では、教師になるということは、歴史的に僧職に就くのと同じことだから、たとえ、給料が安くとも、生徒たちの文章を、ひとりひとり添削指導するためにものすごい量の時間をかけるのである。 それは、13世紀の中世以来、学問というのは、伝統的にずっとこうなのである。
だから、たとえば、一流の大学教授と、20歳の何も知らない学生が互角にやり合えるのである。 知識や人生経験の量の差など、ものの数ではない。
問題は、その人に新しいアイディアideaがひらめくか、あるいは、ものごとを論理的に合理的に考えつづけられるか(これをreasoningリーズエングと言う)、あるいは、そこからものごとの考え方のより新しい可能性が開かれるかであり、それが大事なのである。 もっとも、実状としてのアメリカの大学の教室だって、それほど、理想的でないのもまた事実である。

大半は日本と似たようなもので、学期末試験(term end exam)の成績とレポートassignmentの成績で、決まってゆく。 また、教室内での教師との問答でも、あつかましい多弁だけが取り柄の偏った考えの学生がいて、その人が教師と、いつまでもズルズルと実りのないやりとりを交わして、残りの学生たちが「うっとおしいなあ」と苛ついているということも多い。
しかし、それでも、日本の高等教育が根本から間違っていることは、ほぼ明らかであろう。 話をもとに戻すが、「私は、今日は、3コマ授業があります」も、haveを使う。
l have three classes todayである。 1 コマずつの「授業」はclass (es)(クラス)である。
これをlesson (s)(レッスン)に換えてもいいのだが、lesson (s)の方は、もともと、一対一の個人授業のことであり、ピアノや踊りのレッスンのような場合に使う。 そして、このclass(es)の東のことをschool(授業)という。
だから、l go to school のschoolには、aやtheがつかない。

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